ブヌン(布農族)
基礎データ
- 名称:ブヌン(Bunun、〈布農族〉。「人間」の意)
- 人口:5万1,000人(2009年9月現在)
- 分布:もと中央山脈一帯(日本植民地期の移住政策後:⇒現)南投県仁愛郷・信義郷、花蓮県萬栄郷・卓渓郷、台東県海端郷・延平郷、高雄県桃源郷・那瑪夏郷など)。
- 言語:ブヌン語(北部方言、中部方言、南部方言)。地域差はあるも意思疎通可能。
- 下位区分:タケ・トド(Taki-tudu、〈卓社群〉)、タケ・バカ(Taki-baka、〈卡社群〉)、タク・バヌアズ(Tak-banuaz、〈巒社群〉)、タケ・ヴァタン(Taki-vatan、〈丹社群〉)、イシ・ブクン(Is-bukunあるいはBubukun、〈郡社群〉)
神話・伝説
ブヌンは、他の台湾原住民諸族と同様に、「太陽を射る神話」や「洪水神話」をもっている。また、いくつかの伝承の中には、かれらの祖先はかつて、中部山地ではなく台湾の西部平地で生活をしており、後に漢族の侵入などのために山で生活するようになったと語るものもある。ただし、神話時代の発祥地や他界に関する伝承内容・認識は明瞭ではない。
生業・居住形態
ブヌンはかつて焼畑農耕(アワ、サトイモ、サツマイモ、トウモロコシなど)と狩猟(イノシシ、シカ、ヤギ、キョン、ムササビなど)を生業としていた。かれらは良好な猟場や耕作地をもとめて家族単位で移住することも多く、かつての中部山地には、親族的な紐帯にもとづいた数戸の(石板石などで建築された)家屋からなる小規模な集落が点在していた。
その後、日本植民地期において「焼き畑+狩猟」という生業形態は、水田耕作を中心とした定地農耕に転換させられ、狩猟も制限された。居住地も、かつての標高1000~2000mという高地に散在していたものが、標高1000m以下の山麓へと集団移住させられ、それが今日の部落の基礎となっている。
現在村落の規模は大きいものでは1000人を超えるところもあり、石板式の伝統家屋はほとんど見られない。しかし近年では、現代式の家屋をベースにしつつも壁にブヌンのモチーフをあしらったり、塀を石板式にするなどの工夫も見受けられる。
第二次世界大戦後ながらくは、茶、梅、桃、水稲、野菜類、果実類などの換金作物の栽培(定地農耕)で生計を立てている世帯が多かった。しかし、70年代以降には台湾の急速な工業化にともなって村落部を離れ都市に移住あるいは季節労働者として出稼ぎにでる青年層も増え、近年では農業離れが進んでいる。さらに、台湾が世界貿易機関(WTO)加盟を果たした2002年以降は農産物輸入自由化の煽りを受け、多くの零細農家は苦境に立たされている。しかし、一部の地域では農産物のブランド化や伝統的な粟作の再興もおこなわれており、自然景観や民族文化を資源とした観光化(たとえば台東県延平郷にある「布農部落」)の試みもなされている。なお、かたちを変えながらも狩猟活動は行われており、自家消費あるいは小規模販売のために鶏・豚・イノシシなどを飼育している者もいる。
親族・社会組織
ブヌン社会の根幹には父系拡大家族を基礎とした「父系クラン(氏族)体系」がある。夫方居住が常態であったブヌン社会において、人びとは父方の親族と生活をともにし、個人名や「姓」(クランの名前)を父系的に継承した。ただし、子供たちの成長に際しては母方親族からの「祝福」も重要であり、現在でも子供の成長に際し、「man-kadav uvaz」(「子供〔の熱〕を冷ます」)あるいは「mapa-kaun (u-lumah-un)」(「〔母の生家への〕馳走」)と呼ばれる子供の母方親族(母方の祖父やオジ)への饗応が行われている。
ブヌンの父系クランは、祖先名・歴史的出来事・地名などにちなんだ「名前・姓」をもっており、それは規模に応じていくつかの段階に分かれている。大きな集団から小さな集団順に並べるならば、クラン連帯(胞族)/クラン(氏族)/サブ・クラン(亜氏族)/父系拡大家族、という風になる。当該社会には、この父系クラン体系にもとづいた婚姻規制があり、同じクラン連帯のメンバー同士の結婚、母親の出身クランのメンバーとの結婚、母の出身クランを同じくする者同士の結婚が禁止されている。
平等主義的性格の強いブヌン社会には、農耕儀礼に関する深い知識を有する「農耕祭司」と首狩行動などを指揮する「首狩リーダー」がいた(ともに男性)。前者は(近隣)集落の有力クランの年長者・識者などが担ったが、後者の選出は徹底した実力主義であり、その権威は人びとの承認・支持によってのみ支えられていた。
信仰・宗教
かつてのブヌンは、万物には霊魂が宿るというアニミズム的認識をもっていた。農耕儀礼や狩猟儀礼においても、作物や獲物の霊魂に対して直接的な語りかけが行われていた。他方で、「天〔空dihaninあるいはdiqanin〕がみている。悪事をしてはならない」という教えはあったが、その神格化の度合いは低かった。現代では「祖霊・祖先」という観念も用いられている。しかし、かれらの社会ではもともと死(とくに「不幸なる死」)には忌避感があり、近親者による屋内埋葬以外はこれといった祖先祭祀は行われていなかった。
またブヌン社会では、人間には左・右の肩にそれぞれ「良い霊魂」と「悪い霊魂」があり、「霊魂」や「心」の状態がその人物の行動、場合によっては関係する他の人物の吉凶禍福に影響を与えうると考えられていた。
1950年前後からはキリスト教(主に長老教会およびカトリック)の布教が盛んに行われ、8割ほどの人びとがキリスト教を信仰しているといわれる。ブヌンは信仰心に篤く、「われわれの祖先は神の存在を知らなかったが、『天』という漠然とした認識はもっており、それは現在のキリスト教信仰に通じるものだった」と解釈する教会関係者も多い。
儀礼・祭事
かつてのブヌン社会では、上述のアニミズム的認識を基礎として、粟作を中心とする農耕儀礼、狩猟、首狩に関連したさまざまな儀礼が頻繁に行われていた。儀礼の準備期間、実際の儀礼行為や諸儀礼にかかわる物忌みの期間などを合わせると、年間70・80日~120・130日が諸儀礼のために費やされたといわれる。
キリスト教を信仰するようになって以降、かつての儀礼の多くが衰退していった。現在も残っているのは上述の母方親族への饗応、キリスト教会で行われるようになった「嬰兒祭」(かつての「子供〔首飾〕祭」)、結婚に際して新郎方親族から贈られる婚資ブタ肉の新婦方親族間での分配(現在は「訂婚」〔婚約〕と呼ばれる)、そして〈射耳祭〉などである。〈射耳祭〉(panaq-tangia-anあるいはmalah-tangia-an)とは、粟畑の除草から収穫期までの期間の前半に相当する時期(太陽暦で4月~5月初旬)に、狩猟の成功などを祈願し、あらかじめ狩猟で獲たシカやキョンの耳を切り取り、男性たちが弓や銃で射るものである。〈射耳祭〉はもともと父系親族集団を基礎として行われていた。キリスト教会のクリスマスを除き、現代の〈射耳祭〉はかれらにとって年最大のイベントとなっており、村や郷などの地方自治体、あるいは台湾全土のブヌンの連合大会として大々的に開催されている。
芸能・工芸・服飾など
ブヌン族の伝統音楽として最も有名なのは、「Pasibutbut」(標準中国語で〈八部合音〉などと表記)と呼ばれる合唱である。これは元来毎年二月の粟の種まき祭(「Minpinan」、播種祭)などの際に唱われる豊作祈願の歌であり、男性数人から十数人が円陣を組んで少しずつ違った音階をのせていく合唱法をとる。この合唱法は世界的にも稀有といわれ、注目されてきた。ブヌン族の伝統音楽にはこのほかにも狩猟の成功を祈る歌、女性の労働歌など様々なものがあり、海外において公演を行っている合唱団も少なくない。
工芸品としては、竹などで編んだ背負式の籠(palangan)などが有名である。また、女性の伝統的な工芸としては、麻糸を織った布や小物などが今も盛んで、観光用に商品化されているものもある。
最も古風とされる伝統的な衣装の特徴は、皮革(sapah、鞣した獣皮)、麻(liv)などを材料としている点であった。麻は、手で織るなどして布にしており、毛皮は主に冬季の上着とされていたようである。
現在は工業製品の綿布が主流で、それを使った簡易な伝統衣装が普及している。日常的には洋服を着ている人がほとんどだが、祭祀や行事などの際には伝統衣装を着用する人が多い。
女性の服は黒を基調としており、上着、巻きスカート(左右に分かれている)、足に巻く布のパーツに分かれている。男女ともに頭にも装飾品を巻き、男性は耳飾りをつけることも多い。
なお、台東県や高雄県など南部のブヌンは、男女ともに青や黒を基調とした衣装を用いている。この地方では、接触したルカイ族やパイワン族の影響から、男性が袖付きの上着や短い黒スカート(太股まで)をはくことも多い。
参考:
明立國2003『台湾小百科―布農族―』(稲田出版)
達西烏拉彎・畢馬(田哲益)1995『台灣布農族的風俗圖誌』(常民文化事業有限公司)。
行政院原住民族委員会ホームページ
著名人
ヨハネ・イスカカブトゥ(1953年-)
【民族名】Yohani Isqaqabut
【民族名の漢字表記】尤哈尼・伊斯卡卡夫特
【紹 介】キリスト長老教会・牧師、原住民族社会運動家。南投県出身。元行政院(中央政府に相当)原住民委員会主任委員、元総統府国策顧問、元フィジー大使。著書に『原住民族覺醒與復振』(2002、前衛出版社)など。
フスルマン・ヴァヴァ(1958-2007年)
【民族名】Husluman Vava
【民族名の漢字表記】霍斯陸曼伐伐
【中文名(漢名)】王新民
【紹 介】作家、台東県出身。『玉山魂』(2007年度台湾文学賞受賞)をはじめとするブヌン文化に関する小説などの著書多数。
ビウン(1975-)
【民族名】Biung Takishuluman
【中文名(漢名)】王宏恩
【紹 介】男性歌手、台東県出身。 ブヌン語やブヌン文化を織り込んだ現代音楽を主として創作している。第13回金曲賞「最佳方言男演唱人獎」など、受賞歴多数。ドラマ『風中緋桜 霧社事件』(公共電視、2004)、映画『等待飛魚(Fishing Luck)』(盧米埃、2005)などに出演。
【ブログ】:http://biung.pixnet.net/blog
許文雄(1978-)
【紹 介】プロ野球選手。右投げ右打ちの投手。高雄県出身。
twbsball.dils.tku.edu.tw/wiki/index.php/%E8%A8%B1%E6%96%87%E9%9B%84
余賢明 (1980-)
【紹 介】プロ野球選手。通称:Salu。左投げ左右スイッチヒッター、外野手。台東県出身。
twbsball.dils.tku.edu.tw/wiki/index.php/%E4%BD%99%E8%B3%A2%E6%98%8E
邱俊文(1980-)
【紹 介】プロ野球選手。右利きの打者。守備位置はセカンド・サードなど。台東県出身。
twbsball.dils.tku.edu.tw/wiki/index.php/%E9%82%B1%E4%BF%8A%E6%96%87
王國進(1981-)
【紹 介】プロ野球選手。 右投げ右打ちの投手。台東県出身。
twbsball.dils.tku.edu.tw/wiki/index.php/%E7%8E%8B%E5%9C%8B%E9%80%B2
文責:石垣 直・近藤 綾