サアロア(拉阿魯哇族)とカナカナブ(卡那卡那富族)

サアロア・カナカナブの正名

 2014年5月10日付の聯合報高雄版に「サアロア・カナカナブの正名成功(拉阿魯哇、卡那卡那富族 正名成功)」という見出しの記事が掲載された。原住民族のなかでこれまでツォウとされてきたサアロアとカナカナブが、それぞれかねてより政府に対して要求していた「正名」(単独の原住民族としての公認)が成功する見込みと報じられたのだ。同記事によれば、去る5月8日に行政院が有識者や地方機関代表を招集して審査会を開催した。今後は行政院による審議決定を経て公布される段取りだという。

 サアロアHla’aluaは、サアロア語を母語とし、荖濃渓上流域(高雄市桃源区)を、カナカナブkanakavuはカナカナブ語を母語とし、楠仔仙渓上流域(高雄市那瑪夏区)を主な居住地とする集団である。両者とも人口は500人程度と推定される。日本統治期の人類学研究以来、ツォウ語を母語とし、曾文溪上流域(嘉義県阿里山郷)を主な居住地とする阿里山ツォウと並び、三者はツォウという1つの民族に分類されてきた。阿里山ツォウを「北ツォウ」、サアロアとカナカナブを「南ツォウ」と2つに分けることもある。

1つの民族とされてはきたが、三者の言語・社会組織・文化の違いは小さくない。3言語間での意思疎通はできず、阿里山ツォウが自集団を「ツォウ」(人)と自称するのに対し、サアロア・カナカナブはそれぞれ「サアロア」「カナカナブ」と自称する。また、阿里山ツォウの中心的祭祀が男子集会所で行われるマヤスヴィmayasviであるのに対し、サアロアは神聖な貝を祀るミアトゥグスmiatungusu(聖貝祭)、カナカナブは親族集団で粟収穫を祝うミコンmikong(またはカナイアラkanaiara、米貢祭)を重要な祭りとする。過去には阿里山ツォウとサアロア、カナカナブとの間で戦いがあったという伝承も記録されている。もっとも、老人たちの間では通婚や移住による往来・交流も記憶されてきた。

 サアロアとカナカナブの居住地には、1930年代以来、政策によるブヌン等の集団移住があり、周囲を異民族に囲まれ、人口減少・伝統文化の流失・言語の消滅の危機にさらされてきた。1993年に台北の国家劇場で各原住民族の伝統歌舞が披露された際、「ツォウ」として参加したサアロアとカナカナブは、阿里山ツォウとの言語や文化の違いを実感したのだという。その後、サアロアが途絶えていた伝統祭祀ミアトゥグスを復興させ、カナカナブが男子集会所を再建する。そして、サアロアが2011年5月に、カナカナブが2012年1月にそれぞれ行政院原住民族委員会に対して正名要求をおこなったのだ。その後、同委員会からの委託で調査研究を実施した国立政治大学原住民族研究センターは、両者をそれぞれ単独の民族と認定することが妥当と判断する報告書を2012年12月に同委員会に提出した。同報告書によれば、目下サアロア語話者は10数人、カナカナブ話者は30数人、今後は単独の民族として独自の言語・文化の復興と民族の発展を目指したいのだという。

 冒頭の記事では、行政院の公布後にサアロアは15番目の、カナカナブは16番目の原住民族になるとも報じられた。そうなれば、2008年のセデック以来、そして国民党政権下では初めての民族認定となる。近々公布予定とも聞く。原住民族16民族の時代の到来である。(2014年6月20日記。記事中、Hla’alua/Kanakanavuの仮名表記は従来使われている原音に近い「サアロア/カナカナブ」を用いた。)

 

2003年1月、カナカナブの村でツォウ民族自治会議が開かれた。当時は三者間で自治をめぐる議論が重ねられていた。(宮岡撮影)

2003年1月、カナカナブの村でツォウ民族自治会議が開かれた。当時は三者間で自治をめぐる議論が重ねられていた。(宮岡撮影)